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はじめに
2003年11月からずっと死にたいと思っている「私」。
死にたい人間は私だけじゃないし、死に方のプロ、がいるわけでもない。
いろいろ自殺サイトやメンタル系サイトをみると、いまさら私が何か書く必要もなさそうに思える。
それでも、死にたい人間になって、はじめて、何が通常人の価値観か、ということが見えてきた。
ここで、通常人から見ると意外に思われる、死にたい人間の物の見方をかいてみようと思う。
ここでいう死にたい人間とは、あくまでも「私」の場合であり、一般性があるかどうかはまったくわからない。
その代わり徹底的に私であり続けることで、ひとつの事例を示したいと思う。
死にたい人間は私だけじゃないし、死に方のプロ、がいるわけでもない。
いろいろ自殺サイトやメンタル系サイトをみると、いまさら私が何か書く必要もなさそうに思える。
それでも、死にたい人間になって、はじめて、何が通常人の価値観か、ということが見えてきた。
ここで、通常人から見ると意外に思われる、死にたい人間の物の見方をかいてみようと思う。
ここでいう死にたい人間とは、あくまでも「私」の場合であり、一般性があるかどうかはまったくわからない。
その代わり徹底的に私であり続けることで、ひとつの事例を示したいと思う。
何でこんなことを始めたか(1)
死にたい人間でも24時間365日死にたいとつぶやいているわけではない。
残念ながら死にたいと思うだけでは死ぬことはできない。だから死ぬまでは生きていないといけない。生きていると生活がある。
ずっと部屋に引きこもって霞を食って生きていければそうしているかもしれないが、死にたい人間でも腹も減るし、眠くもなる。
つまり、普通の?生活をしていると自分の気持ちとは裏腹にいろいろしなければならないことがある。そして、他の事に集中していると死にたい、と考えることができなくなる。
死にたいと考えなくてすむ間は、精神的に楽になれる。
だから、こんなことを始めてみた。
最初はただ、記録を残そうと思っただけだったが、書いているうちに、書いている間は死にたいと考えなくて済むことがわかった。
なんだかんだいっても死にたいと思い続けるのは精神的につらい。この精神的な苦痛が一時的にせよ治まるだけでもとても助かる。
だから、あくまでも自分のために、そして自分が楽になるためにこんなことを始めようと思った。
残念ながら死にたいと思うだけでは死ぬことはできない。だから死ぬまでは生きていないといけない。生きていると生活がある。
ずっと部屋に引きこもって霞を食って生きていければそうしているかもしれないが、死にたい人間でも腹も減るし、眠くもなる。
つまり、普通の?生活をしていると自分の気持ちとは裏腹にいろいろしなければならないことがある。そして、他の事に集中していると死にたい、と考えることができなくなる。
死にたいと考えなくてすむ間は、精神的に楽になれる。
だから、こんなことを始めてみた。
最初はただ、記録を残そうと思っただけだったが、書いているうちに、書いている間は死にたいと考えなくて済むことがわかった。
なんだかんだいっても死にたいと思い続けるのは精神的につらい。この精神的な苦痛が一時的にせよ治まるだけでもとても助かる。
だから、あくまでも自分のために、そして自分が楽になるためにこんなことを始めようと思った。
何でこんなことを始めたか(2)
もし、記録を残すことで精神的に楽になるのなら、そしてそれだけが理由なのなら、公開する必要はない。
自分でPCに向かって記録を残し、そのまま埋もれてしまってもいいし、死後誰かに発見されバカにされてもいい(死んだ後はわからない)。
でも、メンタル系サイトを渡り歩いているうちに gumi さんのページ(jisatu願望日記)にたどり着いた。そのブログを読んで共感を覚えた。残念ながら、もうこのページは存在しない。http://blog.drecom.jp/gumi93/
そして、私もその真似事をしたくなった。
もし、誰か一人だけでも、こんな記事を読んで何か思ってくれれば(共感、軽蔑、笑いなんでもよい)私は嬉しい。
死にたい人間がそんなことを考えるのは間違っているかもしれないが、同じように苦しんでいる人がいるかもしれないから。
そして、何かまちがって、そんな苦しむ人が楽になれば、私が生きている価値も少しはあると考えられるから。こんな人間でも何かの役に立てば嬉しいから。
自分でPCに向かって記録を残し、そのまま埋もれてしまってもいいし、死後誰かに発見されバカにされてもいい(死んだ後はわからない)。
でも、メンタル系サイトを渡り歩いているうちに gumi さんのページ(jisatu願望日記)にたどり着いた。そのブログを読んで共感を覚えた。残念ながら、もうこのページは存在しない。http://blog.drecom.jp/gumi93/
そして、私もその真似事をしたくなった。
もし、誰か一人だけでも、こんな記事を読んで何か思ってくれれば(共感、軽蔑、笑いなんでもよい)私は嬉しい。
死にたい人間がそんなことを考えるのは間違っているかもしれないが、同じように苦しんでいる人がいるかもしれないから。
そして、何かまちがって、そんな苦しむ人が楽になれば、私が生きている価値も少しはあると考えられるから。こんな人間でも何かの役に立てば嬉しいから。
自殺の方程式
どこかのサイトで、
自殺の方程式:(ウツ状態)+(きっかけ)=(自殺)
というのを見た。
やられた、と思った。
私が思っていることをとても短く表現している。
世の中ではよく「発作的自殺」と表現されるが、私はほとんどの自殺は発作的でない、と思う。
私の場合、生きているのは単に死ねないから。そして自殺する勇気がないから。
でも、何かのきっかけで勇気がわいてきて、その時都合よく自殺できる環境があれば、おそらく自殺すると思う。
「発作的に」自殺した人は、何かのきっかけで自殺のスイッチが入り、かつ、自殺できる環境がそばにある、そういうときに自殺する。
その瞬間だけみれば発作的に見えても、ずっと悩んでいたに違いない。
だから、もし、私がアメリカのような銃社会で同じ状況に陥ったとすれば、おそらく、何度も銃を取り出して悩んであろう。
そして、そのうち一度でもなにかのきっかけがあれば、引き金を引いて自殺していただろう。
幸いにして日本ではそんな簡単に自殺できる道具は手に入らない。
私のようなヘタレでは、自殺する準備すらするのがイヤである。
リストカットや飛び降りで自殺した人も、きっと同様だったのだろうと思う。
ずっと悩んでいて、そしてある時、なにかがきっかけで自殺衝動が高まり、そして、たまたまその時回りに自殺できる環境が整っていたのだと思う。
もちろん、なにかきっかけがあって、自殺衝動が高まっても、たとえば、手足を縛られていれば自殺はできない。
リストカットしたくてもそばに刃物がなければできない。
飛び降りたくても近くに高いビルがなければできない。
そして刃物を用意したり、高いビルに移動しているうちに自殺衝動が治まったりする。
だから、死にたいと思っても実際自殺するのは簡単ではない。
そういう意味で、自殺者というのは死にたいと思っている人間のエリートである。
自殺の方程式:(ウツ状態)+(きっかけ)=(自殺)
というのを見た。
やられた、と思った。
私が思っていることをとても短く表現している。
世の中ではよく「発作的自殺」と表現されるが、私はほとんどの自殺は発作的でない、と思う。
私の場合、生きているのは単に死ねないから。そして自殺する勇気がないから。
でも、何かのきっかけで勇気がわいてきて、その時都合よく自殺できる環境があれば、おそらく自殺すると思う。
「発作的に」自殺した人は、何かのきっかけで自殺のスイッチが入り、かつ、自殺できる環境がそばにある、そういうときに自殺する。
その瞬間だけみれば発作的に見えても、ずっと悩んでいたに違いない。
だから、もし、私がアメリカのような銃社会で同じ状況に陥ったとすれば、おそらく、何度も銃を取り出して悩んであろう。
そして、そのうち一度でもなにかのきっかけがあれば、引き金を引いて自殺していただろう。
幸いにして日本ではそんな簡単に自殺できる道具は手に入らない。
私のようなヘタレでは、自殺する準備すらするのがイヤである。
リストカットや飛び降りで自殺した人も、きっと同様だったのだろうと思う。
ずっと悩んでいて、そしてある時、なにかがきっかけで自殺衝動が高まり、そして、たまたまその時回りに自殺できる環境が整っていたのだと思う。
もちろん、なにかきっかけがあって、自殺衝動が高まっても、たとえば、手足を縛られていれば自殺はできない。
リストカットしたくてもそばに刃物がなければできない。
飛び降りたくても近くに高いビルがなければできない。
そして刃物を用意したり、高いビルに移動しているうちに自殺衝動が治まったりする。
だから、死にたいと思っても実際自殺するのは簡単ではない。
そういう意味で、自殺者というのは死にたいと思っている人間のエリートである。
死にたいと言っている人間は死なないか?
この問いに対する答は Yes であり、No でもある。
自殺の方程式で述べたように、死にたいと思っている人間が実際に死ぬまでは大変である。
実際私はもう2年以上も死にたいと思っているが死ねない。
でも、それはたまたま「きっかけ」がないだけ。
テレ朝系で「Qさま」という番組がある。
その中で「芸能界チキンNo1決定戦」と称し、主にお笑い芸人が高さ10mの飛び込み台から何秒で飛び込めるかを競う企画がある。
高さ10mはかなり恐怖を伴うらしく、なかなか飛び込めない人が多い。
多くの躊躇を経て、とびこむ「きっかけ」を手にして飛び込める。
これはまさに自殺だと思う。
思い切りのいい人はさっさと飛び込む。
でもなかなかふんぎれない人はなかなか飛び込めない。
自殺もそれと同じ。
死にたい、と思っている人間は、死ぬ努力を続ける限り、いつかは死ねる。
でもそれがいつかは本人を含め誰にもわからない。
だから、数人の「死にたい」といっている人間を観察する限り、だれもなかなか死なないのは本当だと思う。
でも、自殺した人間を調べればそのうちほとんどは「死にたい」と言っていたはずである。
そういう意味で、この問いに対する答は Yes であり No である。
自殺の方程式で述べたように、死にたいと思っている人間が実際に死ぬまでは大変である。
実際私はもう2年以上も死にたいと思っているが死ねない。
でも、それはたまたま「きっかけ」がないだけ。
テレ朝系で「Qさま」という番組がある。
その中で「芸能界チキンNo1決定戦」と称し、主にお笑い芸人が高さ10mの飛び込み台から何秒で飛び込めるかを競う企画がある。
高さ10mはかなり恐怖を伴うらしく、なかなか飛び込めない人が多い。
多くの躊躇を経て、とびこむ「きっかけ」を手にして飛び込める。
これはまさに自殺だと思う。
思い切りのいい人はさっさと飛び込む。
でもなかなかふんぎれない人はなかなか飛び込めない。
自殺もそれと同じ。
死にたい、と思っている人間は、死ぬ努力を続ける限り、いつかは死ねる。
でもそれがいつかは本人を含め誰にもわからない。
だから、数人の「死にたい」といっている人間を観察する限り、だれもなかなか死なないのは本当だと思う。
でも、自殺した人間を調べればそのうちほとんどは「死にたい」と言っていたはずである。
そういう意味で、この問いに対する答は Yes であり No である。





