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命の交換
死にたい人間と死にたくないのに死ぬ人間。
命の交換ができたらこんないいことはないと思う。
どちらの需要が多いのかしらないが、日本の自殺者は年間3万人というから、志願者を含めたら10万人はいるのではないだろうか。
これだけ死にたい人間がいるのに、誰一人として死にたくない人間を助けることはできない。
なんと世の中矛盾にみちていることよ。
命の交換ができたらこんないいことはないと思う。
どちらの需要が多いのかしらないが、日本の自殺者は年間3万人というから、志願者を含めたら10万人はいるのではないだろうか。
これだけ死にたい人間がいるのに、誰一人として死にたくない人間を助けることはできない。
なんと世の中矛盾にみちていることよ。
死刑囚
宮崎勤の死刑が確定したそうだ。
健常な人間にとって、死刑は恐ろしい。
でも、死にたい人間にとってはうらやましい。
ただ、日本の場合刑の確定から執行までどのくらいの時間がかかるかはまったくわからない。
早ければ宅間事件のように1年しないで執行ということもあるし、遅いと帝銀事件のように死ぬまで執行されない、ということもある。
最近の傾向からすれば比較的短い時間(2-3年以内)で執行されるであろう。
死刑囚は、刑を執行されるまで、何も生活の心配をすることなく、引きこもりたければ引きこもって泣いていてもいい。そして、何もしなくてもそのうち刑を執行してもらって死ぬことができる。
死にたい人間には、それがうらやましい。
生きたい人間には、死刑囚というのはいつ刑が執行されるか恐怖の日々だというが、死にたい人間には、いつ死ねるか、いつ希望の光がくるか楽しみでしかない。
ただ、宮崎勤と命の交換をしたいか、といわれると躊躇する。自分が死にたくないわけではなくて、単に宮崎勤が社会復帰するのが許せないだけ。
どうでもいい、と思っている死にたい人間でも、社会の役に立ちたいとは思っている。
健常な人間にとって、死刑は恐ろしい。
でも、死にたい人間にとってはうらやましい。
ただ、日本の場合刑の確定から執行までどのくらいの時間がかかるかはまったくわからない。
早ければ宅間事件のように1年しないで執行ということもあるし、遅いと帝銀事件のように死ぬまで執行されない、ということもある。
最近の傾向からすれば比較的短い時間(2-3年以内)で執行されるであろう。
死刑囚は、刑を執行されるまで、何も生活の心配をすることなく、引きこもりたければ引きこもって泣いていてもいい。そして、何もしなくてもそのうち刑を執行してもらって死ぬことができる。
死にたい人間には、それがうらやましい。
生きたい人間には、死刑囚というのはいつ刑が執行されるか恐怖の日々だというが、死にたい人間には、いつ死ねるか、いつ希望の光がくるか楽しみでしかない。
ただ、宮崎勤と命の交換をしたいか、といわれると躊躇する。自分が死にたくないわけではなくて、単に宮崎勤が社会復帰するのが許せないだけ。
どうでもいい、と思っている死にたい人間でも、社会の役に立ちたいとは思っている。
そんなそぶりはなかった
自殺した人の周囲に取材すると、自殺した人に対してこういうコメントが返ることがよくある。
当然だと思う。
最初に書いたように、死にたい人間でも何か別のことに集中していると死にたいことは忘れる。
だから、周りの人と話をしたり、あるいは、取材を受けるなどしていれば、本人が直面している苦しみからは一時的に逃れることができる。
ちょうど健常者の「現実逃避」と同じ。
つまり、何かやるのがいやなことがあるとほかの事をしたくなるというアレ。
だから、自分の苦しみが和らいでいる状態で他人と接していればとても死ぬようには見えない、というのは当然のこと。
誰も他人の心の中までみることはできない。
当然だと思う。
最初に書いたように、死にたい人間でも何か別のことに集中していると死にたいことは忘れる。
だから、周りの人と話をしたり、あるいは、取材を受けるなどしていれば、本人が直面している苦しみからは一時的に逃れることができる。
ちょうど健常者の「現実逃避」と同じ。
つまり、何かやるのがいやなことがあるとほかの事をしたくなるというアレ。
だから、自分の苦しみが和らいでいる状態で他人と接していればとても死ぬようには見えない、というのは当然のこと。
誰も他人の心の中までみることはできない。
死亡事故
事故で人が死ぬニュースを見ると、普通の人は、怖い、悲しい、かわいそう、と思うだろう。
でも死にたい人間は違う。
うらやましい、かわってあげたい、と思う。
特に死んだ人が自分より若かったりすると、なぜこんな自分が生きていて、まだ将来のあるこの人たちが死ななければならないのだろう、と思う。
でも死にたい人間は違う。
うらやましい、かわってあげたい、と思う。
特に死んだ人が自分より若かったりすると、なぜこんな自分が生きていて、まだ将来のあるこの人たちが死ななければならないのだろう、と思う。
文学
私が健常だった頃、文学にはまったく興味がなかった。
中でも特に、人間の心の機微なんてのは理解できなかった。
世の中うまくいくか、いかないかどっちかだ、という単純思考の持ち主だった。
だから、文学は理解できなかった。
死にたい人間になって、考えが変わった。
自分の中の感情がこうもコントロールできない不思議な動きをすることを初めて知った。
○か×かでは、表現できない、なんともいえない感情があることがわかった。
死にたくて悲しくて落ち込む自分がいる。
でも同じ自分が何か他の事で気を紛らわせていると笑うことも喜ぶこともある。
死にたいはずの人間がなぜ喜ぶ?
死にたい人間でも、風邪を引けば医者に行くし、そもそも心療内科(精神科)にもいっている。
なぜ死にたいはずの人間が生きる努力をする?
文学は、こうした人間の感情部分を巧みに表現する。
死にたい人間になって初めて文学の存在理由を理解できるようになった。
中でも特に、人間の心の機微なんてのは理解できなかった。
世の中うまくいくか、いかないかどっちかだ、という単純思考の持ち主だった。
だから、文学は理解できなかった。
死にたい人間になって、考えが変わった。
自分の中の感情がこうもコントロールできない不思議な動きをすることを初めて知った。
○か×かでは、表現できない、なんともいえない感情があることがわかった。
死にたくて悲しくて落ち込む自分がいる。
でも同じ自分が何か他の事で気を紛らわせていると笑うことも喜ぶこともある。
死にたいはずの人間がなぜ喜ぶ?
死にたい人間でも、風邪を引けば医者に行くし、そもそも心療内科(精神科)にもいっている。
なぜ死にたいはずの人間が生きる努力をする?
文学は、こうした人間の感情部分を巧みに表現する。
死にたい人間になって初めて文学の存在理由を理解できるようになった。



